東京高等裁判所 平成9年(ネ)1343号 判決 1998年2月09日
控訴人
亡甲野花子訴訟承継人
甲野太郎
外三名
右四名訴訟代理人弁護士
赤松岳
同
野口勇
同
石下雅樹
被控訴人
国
右代表者法務大臣
下稲葉耕吉
右指定代理人
中垣内健治
外七名
被控訴人
A
外五名
主文
一 原判決中、被控訴人国、同A、同D及び同Eに関する部分を次のとおり変更する。
1 被控訴人国、同A、同D及び同Eは各自、控訴人甲野太郎に対しては金二七万五〇〇〇円、同乙川春子、同甲野一郎及び同丙田夏子に対してはそれぞれ金九万一六六六円及びこれらに対する平成五年七月一六日(被控訴人Aについては同月一七日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 控訴人らの右被控訴人らに対するその余の請求を棄却する。
二 控訴人らの被控訴人B、同C及び同Fに対する控訴を棄却する。
三 控訴人らと被控訴人国、同A、同D、及び同Eとの間で生じた訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを二〇分し、その一九を控訴人らの負担とし、その余を右被控訴人らの負担とし、控訴人らと被控訴人B、同C及び同Fとの間の控訴費用は、控訴人らの負担とする。
四 この判決は、主文第一項1に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人国、同A、同B、同D、同E、同C及び同Fは連帯して、控訴人甲野太郎に対しては金六〇〇万円、同乙川春子、同甲野一郎及び同丙田夏子に対してはそれぞれ金二〇〇万円及びこれらに対する平成五年七月一六日(被控訴人Aについては同月一七日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 控訴の趣旨に対する答弁
控訴棄却
第二 請求の原因
本件の請求の原因は、次のとおり改め、又は加えるほかは、原判決の事実及び理由欄の第二に記載のとおりである。
一 原判決二枚目裏七行目の「原告」を「訴訟承継前控訴人亡甲野花子(以下「花子」という。)」と、同四枚目表四行目から同四枚目裏二行目までの間の各「原告」を「花子」とそれぞれ改める。
二 同四枚目裏五行目の次に行を改めて次のとおり加える。
「六 花子は、平成九年八月一三日に死亡したが、その相続人は、夫である控訴人甲野太郎、花子と同控訴人との間の長女である控訴人乙川春子、同長男である控訴人甲野一郎及び同二女である控訴人丙田夏子である。(当事者間に争いがない。)」
三 同六行目の「六」を「七」と、同行目の「原告」を「控訴人ら」と、同七行目、同八行目及び同一一行目の各「原告」を「花子」とそれぞれ改める。
四 同一〇行目の「受け入れないとの」の次に「花子の」を加え、同末行の「舞って」を「舞い、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針を採用していながら、この治療方針の説明を怠って、」と改め、同五枚目表三行目の「いずれも」の次に「花子に生じた」を、同五行目の「遅延損害金」の次に「につき、これを相続した控訴人らの法定相続分に応じて控訴の趣旨2項記載のとおりの金員」をそれぞれ加える。
第三 争点
本件の争点は、次のとおり改め、又は加えるほかは、原判決の事実及び理由欄の第三に記載のとおりである。
一 原判決五枚目表七行目から一〇枚目表八行目までの間の各「原告」のうち、同五枚目表九行目、同六枚目裏四行目、同七枚目表末行、同九枚目裏三行目及び同一〇枚目表五行目の各「原告」を「控訴人ら」と、その余の各「原告」を「花子」とそれぞれ改める。
二 同六枚目表二行目の「の輸血拒否」を「による輸血拒否」と改める。
三 同七枚目表八行目の「振る舞って」を「振る舞い、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針を採用していながら、この治療方針の説明を怠って、」と同八枚目表七行目の「示し」を「示したもので、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針を採用していながら、この治療方針の説明を怠って、」とそれぞれ改める。
四 同七枚目裏一行目の「訴外甲野一郎(以下「訴外一郎」という。)」を「控訴人甲野一郎(以下「控訴人一郎」という。)」と改める。
第四 本件の経過
本件の経過は、次のとおり改め、又は加えるほかは、原判決の事実及び理由欄の第四に記載のとおりである。
一 原判決一〇枚目裏三行目の「三」の次に「、乙第九号証、乙第一〇号証、乙第一三号証、乙第一四号証」を加える。
二 同行目から二〇枚目表一行目までの間の各「原告」を「花子」と、各「訴外一郎」を「控訴人一郎」と、「訴外甲野太郎(以下「訴外太郎」という。)」を、「控訴人甲野太郎(以下「控訴人太郎」という。)」と、各「訴外太郎」を「控訴人太郎」とそれぞれ改める。
三 同一二枚目裏六行目末尾に「なお、被控訴人Aは、当日、花子に対して超音波検査を実施し、肝右葉付近に巨大な腫瘍があることなどの所見を得、その摘出手術が相当困難なものとなるとの感じを抱いた。」を加える。
四 同一三枚目表九行目の「答えた」の次に「(なお、被控訴人D作成の陳述書(乙第一〇号証)中には、同被控訴人が花子から「死んでも輸血をしてもらいたくない。」と言われた記憶がない旨の記載部分があるが、右記載部分は、カルテ(乙第一号証)中の、右会話があったとされる同年九月七日を含む同年八月一八日から同年九月一〇日までの検査、一時的指示、継続指示などを記載した文書(八一頁)中の特記事項欄に「エホバ! 輸血は死んでもだめ」との記載があることに照らして採用できない。)」を加える。
五 同一四枚目裏一行目の「術前検討会」の次に「(これには少なくとも、被控訴人A、同D及び同Eが出席した。)」を、同八行目の「事態」の次に「が発生した場合には、輸血の実施を考慮することとし、これ」をそれぞれ加える。
六 同一七行目表五行目の「手術」の次に「の」を加え、同六行目の「提出された。」の次に「この承諾書は、説明の内容として、「肝腫瘍の手術、合併症について説明しました。(A)」と手書きで記載され、承諾文言として、「今般主治医より(空欄未補充)を受けることにつきまして充分な説明を聞き了解いたしましたので、実施をお願いいたします。」と印刷され、その下に花子が患者本人として署名捺印し、患者の家族である控訴人太郎が署名捺印しているものである。」を、同七行目の末尾に「。」をそれぞれ加える。
七 同一八枚目裏二行目の「著名」を「著明」と改める。
八 同八行目末尾に「待機していた花子の家族(控訴人ら四名及び控訴人一郎の妻)からの同意を得ることなく、」を加える。
第五 争点に対する判断
一 争点一(無輸血特約)について
控訴人らは、花子と被控訴人国とは、平成四年九月一四日、被控訴人医師らが花子に対して手術中いかなる事態になっても、すなわち、輸血以外に救命手段がない事態になっても、輸血をしないこと(以下「絶対的無輸血」という。)を合意したと主張する。
しかし、前記認定の事実によれば、花子は、口頭により絶対的無輸血を求める旨の意思を表示していることは認められるが、文書上はその意思は明確でない。また、被控訴人医師らは、口頭によっても、文書によっても右花子の求めに応ずる旨の意思を表示しているとは認められないが、できる限り輸血をしない旨の意思表示はしていることが認められる。したがって、絶対的無輸血の合意が成立していると認めることはできない(手術に当たりできる限り輸血をしないこととする限度での合意成立の効果は認めるべきである。)。これを補足説明すると次のとおりである(以下、前記認定事実には証拠を示さず、それ以外の事実には括弧内に証拠を示す。)。
1 エホバの証人の信者である患者(以下「エホバの証人患者」という。)の症例報告等(甲第一三号証の一ないし一四、乙第八号証の一の一ないし二四)によれば、エホバの証人患者は、多くが絶対的無輸血の意思を表明しているが、家族などの説得により、輸血の承諾をした事例もあり(乙八の一の一八の症例)、手術に当たりできる限り輸血をしないこととするが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血をすること(本件において、被控訴人医師らの認識における「できる限り輸血しないこと」の意味は、この趣旨と解される。以下「相対的無輸血」という。)を承諾した事例もあり(甲第一三号証の四の症例1、乙八の一の七の症例)、また、患者本人は絶対的無輸血の意思を表明したが、その家族は生命の危機に瀕する事態に陥ったときに相談させてほしいとの意思を表明した事例もあり(甲第一三号証の一二の症例)、さらに、患者本人は相対的無輸血を承諾したが、妻が反対した事例もある(乙八の一の三の症例4)。
以上のとおり、エホバの証人患者の輸血について採る態度はさまざまであるところ、絶対的無輸血は、生命の維持よりも輸血をしないことに優越的な価値を認めるものであるのに対し、相対的無輸血は、輸血をしないことよりも生命の維持に優越的な価値を認めるものであって、同じ無輸血といっても、この両者の間には質的に大きな違いがある。
2 花子が医科研で最初に受診した際、被控訴人Aに対し、花子は、輸血に関する発言はしなかったが、控訴人一郎が「母は三〇年間エホバの証人をしていて、輸血をすることはできません。」と言った。しかし、同控訴人は、「輸血以外に救命手段がない事態になっても輸血はできない。」旨を明言はしていない。
これに対し、被控訴人Aは、「(腫瘍は)大きいですけど、心配いりません。ちゃんと治療できます。」「いざとなったらセルセイバー(回収式自己血輸血装置)があるから大丈夫です。本人の意思を尊重して、よく話し合いながら、きちんとやっていきます。」と言っているが、「輸血以外に救命手段がない事態になっても輸血はしない。」旨を明言してはおらず、将来の話合いの余地を残していて、絶対的無輸血の治療方針を採る旨を表明してはいない。
3 花子が医科研に入院した当日の被控訴人Eと花子との問答は、貯血式自己血輸血の可否に関するものに過ぎず両者とも、絶対的無輸血の意思又は治療方針を明確に表明するものではない。
4 花子が医科研に入院中の平成四年九月七日には、花子は、被控訴人Dに対し、「死んでも輸血をしてもらいたくない。そういう内容の書面を書いて出します。」と言っているが、これは、絶対的無輸血の意思を口頭で表明したものである。この意思表明は、主治医である被控訴人Dに対するものであるから、被控訴人国の履行補助者に対して絶対的無輸血による手術を求める意思表示(申込み)であるといえる。
これに対し、被控訴人Dは、「そういう書面をもらってもしょうがないです。」と言っているが、これは、右申込みを承諾したものではないことは明らかである。
5 手術説明会の同月一四日には、被控訴人Aは、大きな手術となり出血があることなどを説明するとともに、「術後再出血がある場合には、再び手術が必要になる。この場合は医師の良心に従って治療を行う。」と説明しているが、同被控訴人の内心の意図はともかくとして、右説明は、相対的無輸血の治療方針を表明するものではない(およそ輸血について言及したものと認めることはできない。)。
控訴人一郎は、その際、被控訴人Aに対して花子作成の免責証書(乙第四号証)を交付している。右免責証書の記載文言は、輸血拒否の意思を表明してはいるが、他の例(甲第四号証中の「輸血謝絶書」、甲第三〇号証の二、甲第一二号証の六の一ないし三、甲第一二号証の一二)と表現を異にし、死の結果をも受け入れる旨の絶対的無輸血の意思を明確にしているとは解されないおそれがある(「どんな損傷」という表現が用いられているが、「傷」という語感からは死の結果をも許容する趣旨かどうか疑いの生ずる余地がある。)。
前判示認定事実によると、被控訴人医師らが絶対的無輸血の治療方針を採用せず、相対的無輸血の治療方針を採用していたことは明らかである。また、医療の専門性(この専門性は訴訟代理の委任の局面とも同一である。)に鑑み、医師はその専門知識及び能力に基づきその良心に従って医療内容を決定すべきであり、患者による治療内容に対する注文は、通常は単なる希望の表明に過ぎず、原則としては、医師が明示に承諾した場合でなければ、そのような医師の治療方針と抵触する合意が成立したと認めるべきものではない(後記の説明義務違反の問題が生ずることや手術の施行自体について患者の同意が必要なことは別論である。)。被控訴人医師らの右言動をもってしては、被控訴人医師らが絶対的無輸血につき承諾したものということはできず、手術に当たりできる限り輸血しないこととする限度でのみ合意成立の効果を認めるべきである。
6 以上のとおり、花子と被控訴人国との間に絶対的無輸血の合意が成立したとは認められないが、念のため右合意の効力について当裁判所の見解を述べておく。当裁判所は、当事者双方が熟慮した上で右合意が成立している場合には、これを公序良俗に反して無効とする必要はないと考える。すなわち、人が信念に基づいて生命を賭しても守べき価値を認め、その信念に従って行動すること(このような行動は、社会的に優越的な宗教的教義に反する科学的見解を発表すること、未知の世界を求めて冒険すること、食糧事情の悪い状況下で食糧管理法を遵守することなど枚挙にいとまがない。)は、それが他者の権利や公共の利益ないし秩序を侵害しない限り、違法となるものではなく、他の者がこの行動を是認してこれに関与することも、同様の限定条件の下で、違法となるものではない。ところで、エホバの証人の信者がその信仰に基づいて生命の維持よりも輸血をしないことに優越的な価値を認めて絶対的無輸血の態度を採ること及び医師がこれを是認して絶対的無輸血の条件下で手術を実施することは、それが他者の権利を侵害するものでないことが明らかである。さらに、輸血にはウィルスの感染等の副作用があることは公知の事実であるし、花子が医科研を初めて受診した平成四年七月二八日までに、絶対的無輸血の条件下で実施された手術例が多数あり、この中には相当数の死亡例もありながら、死亡例について医師が実際に刑事訴追された事例がなかったこと(甲第一三号証の一ないし一四、乙第八号証の一の一ないし二四)、同元年には、輸血療法の環境の変化に対応して、厚生省健康政策局長が輸血療法の適正化に関するガイドラインを定め、これを各都道府県知事あてに通知しているが、その一項目として、「輸血療法を行う際には、患者またはその家族に理解しやすい言葉でよく説明し、同意を得た上でその旨を診療録に記録しておく。」ことが挙げられていること(甲第二二号証)、同二年中には日本医師会の生命倫理懇談会が絶対的無輸血の条件下での手術の実施をやむを得ないことではあるが肯定する旨の見解を発表していること(甲第一〇号証、甲第二一号証)、同二年から花子の右受診前までの間に北信総合病院、国立循環器センター、聖隷浜松病院、京都大学医学部附属病院、上尾甦生病院及び鹿児島大学医学部付属病院などが絶対的無輸血の条件下での手術を是認する見解を発表しており、これを報道する新聞も、その見解に否定的な評価を示してはいないこと(甲第一二号証の三ないし五、同号証の六の一、二、同号証の七の一ないし三、同号証の八)、花子の右受診時点までに、法律学の領域においても、医療における患者の自己決定権、インフォームド・コンセント、クォリティ・オブ・ライフなどの問題につき患者の意思決定を尊重する見解が多数発表されていたこと(当裁判所に顕著な事実。なお、甲号証としては、第五七号証、第五九号証などがある。)などに照らすと、花子の右受診時点では、絶対的無輸血の条件下で手術を実施することも、公共の利益ないし秩序を侵害しないものと評価される状況に至っていたものと認められる。ただし、これは医師に患者による絶対的無輸血治療の申入れその他の医療内容の注文に応ずべき義務を認めるものでないことはいうまでもない。絶対的無輸血治療に応ずるかどうかは、専ら医師の倫理観、生死観による。後記説明義務を負うことは格別として、医師はその良心に従って治療すべきであり、患者が医師に対してその良心に反する治療方法を採ることを強制することはできない。もっとも、その良心に従ったところが医師に当然要求される注意義務に反するときは、責任を免れないことはもちろんである。
二 争点二(説明義務違反とその責任主体及び結果)について
控訴人らは、被控訴人医師らが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針、すなわち、相対的無輸血の治療方針を採用していながら、花子の絶対的無輸血の意思を認識した上で、花子の右意思に従うかのように振る舞い、この治療方針の説明を怠って、花子に本件手術を受けさせ、本件輸血をし、右の行為によって花子の自己決定権及び信教上の良心を侵害した、と主張する。
この主張は、本件において国以外の被控訴人医師らが輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針、すなわち、相対的無輸血の治療方針を採用していたことを花子に説明する義務を負っていたところ、その義務の懈怠があるとするものである。まず、右説明義務の存否について判断する(以下、前記一同様に、既に認定した事実には証拠を示さず、それ以外の事実には括弧内に証拠を示す。)。
1 説明義務の存否
(一) 被控訴人医師らは、できる限り輸血しないこととするが、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針、すなわち、相対的無輸血の治療方針を採用していながら、花子に対し、この治療方針に説明をしなかった。
(二) 本件のような手術を行うことについては、患者の同意が必要であり、医師がその同意を得るについては、患者がその判断をする上で必要な情報を開示して患者に説明すべきものである。もちろん、これは一般論であり、緊急患者のような場合には、推定的同意の法理によるべきであるし、その説明の内容は、具体的な患者に則し、医師の資格をもつ者に一般的に要求される注意義務を基準として判断されるべきものである。
この同意は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するものである。被控訴人らは自己の生命の喪失につながるような自己決定権は認められないと主張するが、当裁判所は、特段の事情がある場合は格別として(自殺をしようとする者がその意思を貫徹するために治療拒否をしても、医師はこれに拘束されず、また交通事故等の救急治療の必要のある場合すなわち転医すれば救命の余地のないような場合には、医師の治療方針が優先される。)、一般的にこのような主張に与することはできない。すなわち、人はいずれは死すべきものであり、その死に至るまでの生きざまは自ら決定できるといわなければならない(例えばいわゆる尊厳死を選択する自由は認められるべきである。)。本件は、後腹膜に発生して肝右葉に浸潤していた悪性腫瘍(手術前の診断は、肝原発の血管性腫瘍、肝細胞癌、悪性後腹膜腫瘍等の疑い)であり、その手術をしたからといって必ずしも治癒が望めるというものではなかった(これは、現に当審係属中に花子が死亡したことによっても、裏付けることができる。)。この事情を勘案すると、花子が相対的無輸血の条件下でなお手術を受けるかどうかの選択権は尊重されなければならなかった。なお、患者の自己決定は、医師から相当の説明がされている限り、医師の判断に委ねるというものでよいことはいうまでもなく、また、医学的知識の乏しい患者としては、そういう決定をすることが通例と考えられる。そして、相当の説明に基づき自己決定権を行使した患者は、その結果を自己の責任として甘受すべきであり、これを医師の責任に転嫁することは許されない(説明及び自己決定の具体的内容について、明確に書面化する一般的な慣行が生まれることが望ましい。)。
輸血(同種血輸血)は、血液中の赤血球や凝固因子等の各成分の機能や量が低下したときにその成分を補充することを主な目的として行われるものであり、ショック状態の改善、事故や手術の際の大量出血による生命の危険に対して劇的な効果を収め得る治療手段であるが、ときにウィルスや細菌などの病原体による感染症や免疫反応に起因する副作用などがある(甲第六号証、甲第七号証、甲第九号証、甲第一一号証、甲第二二号証、乙第五号証、乙第六号証)。したがって、医師が患者に対して輸血をする場合には、患者またはその家族にこれらの事項を理解しやすい言葉でよく説明し、同意を得た上で行うことが相当である(甲第二二号証)とはいえるが、手術等に内在する可能性として同意が推定される場合も多く、一般的にそのような説明をした上での同意を得べきものとまではいえない。しかし、本件では事情が異なる。花子は、エホバの証人の信者であったところ、エホバの証人患者は、その宗教的教義に基づいて輸血を拒否することが一般的であるが、前記一1認定のとおり、輸血拒否の態度に個人差があることを看過することはできない。また、単に無輸血といっても、絶対的無輸血と相対的無輸血の間には質的に大きな違いがあり(また、甲第一八号証、甲第三六号証の一ないし一四によれば、エホバの証人の信者であっても、血液製剤のうちの一部のものは、個人の判断で許容できるとしているし、血液の貯蔵を伴わない自己血輸血の一部の方式も、同様に許容できるとしている。)、医師は、エホバの証人患者に対して輸血が予測される手術をするに先立ち、同患者が判断能力を有する成人であるときには、輸血拒否の意思の具体的内容を確認するとともに、医師の無輸血についての治療方針を説明することが必要であると解される。
さらに本件においては、次の事実が認められる。花子は、昭和四年一月五日生まれであって、医科研に外来受診しその後入院した当時六三歳であり、判断能力を有する成人であった。被控訴人Aは、花子の担当医師団の責任者であり、花子の外来受診の際に対応して入院治療を承諾し、本件手術のメンバーを決め、術前検討会を主宰し、本件手術の執刀医として最終的な責任者となった。被控訴人D及び同Eは、花子の主治医として、入院中の花子の日常的な診療に直接携わった。被控訴人Bは肝臓外科専門医として、被控訴人C及び同Fは麻酔医として、本件手術及び本件輸血には関与したが、その関与する局面は限定されたもので、花子及びその家族と接触することはなかった(原審における被控訴人A本人尋問、乙第一三号証、乙第一四号証)。被控訴人A、同D及び同Eは、前記認定の経緯から、花子がエホバの証人の信者であって輸血拒否の意思を有していることを知っていた。被控訴人Bは、花子がエホバの証人の信者であることを知っていたと推認されるが(乙第一三号証)、同C及び同Fについては明らかでない。被控訴人Aは、花子が立川病院で無輸血手術ができない旨言われたため、医科研に受診することとなった経緯を知っていた。被控訴人Aは、花子の外来受診当初から、花子の肝右葉付近に巨大な腫瘍があることなどの所見を得、その摘出手術が相当困難なものとなるとの感じを抱き、控訴人一郎に対して「いざとなったらセルセイバーがあるから大丈夫です。」と告げた(なお、これらの事実から、被控訴人Aは、この腫瘍を摘出する本件手術をするに当たっては輸血以外に救命手段がない事態が発生する可能性のあることを認識していたものと推認できる。)。被控訴人Dは、輸血以外に救命手段がない事態になれば患者が誰であれ輸血する考え方を個人的に抱いていたところ、平成四年九月七日、花子に対し緊急時には救命のために輸血する方針である旨を告げ、花子から「死んでも輸血してもらいたくないし、必要なら免責証書を提出する。」旨言われたが、そのような証書を貰っても仕方がないと返答した。被控訴人A及び同Eは、そのころ、カルテの記載(乙第一号証八一頁)又は被控訴人Dからの報告により花子の右発言を知った(被控訴人Aが担当医師団の責任者であること、被控訴人Eが同Dと同様に花子の主治医であって花子の日常的な診療に直接携わっていたことからの推認。なお、被控訴人B、同C及び同Fが花子の右発言を知っていたと認めるに足りる証拠はない。)。被控訴人A、同D及び同Eの三名(以下「被控訴人Aら三名」という。)は、術前検討会において、花子の生命に危険な事態が発生した場合には、輸血の実施を考慮することとし、濃厚赤血球等を準備することとした。被控訴人Aら三名は、平成四年九月一四日に、花子、控訴人太郎及び同一郎に対し、手術説明をし、その際、控訴人一郎から免責証書の交付を受けた。
以上によれば、被控訴人Dは、一応相対的無輸血の方針を説明していると認められるが、花子がこれに納得せず、絶対的無輸血に固執していることを認識した以上、そのことを他の担当医師特に責任者である被控訴人Aに告げ、担当医師団としての治療方針を統一すべき義務を負い、その内容が花子の固執しているところと一致しなければ、自ら又は被控訴人Aを通じて、花子に説明してなお医科研における入院治療を継続するか否か特に本件手術を受けるかどうかの選択の機会を与えるべきであった。そして、被控訴人A、同D及び同Eは、無輸血で手術を行う一〇〇%の見込みがないと判断した時点で(少なくとも術前検討会の後花子及び家族への手術説明の際には)、担当医師団の方針としてその説明をすべきであった。しかし、被控訴人B、同C及び同Fは、担当医師団の責任者たる被控訴人Aの決定指示に従う立場にあり、花子及びその家族と接触してその意思を確認する機会も、治療方針の説明をする機会もなかったから、右説明義務を負うことはない(なお、担当医師団の一員ないしその一員と予定されている麻酔医にまで右説明等の義務を認めることは、外科医と麻酔医の役割分担を前提とする病院組織の場合には、病院全体の効率的な運営を妨げるおそれがあって相当でない。)。
(三) 以上によれば、被控訴人Aら三名は、輸血以外に救命手段がない事態になった場合には輸血する治療方針、すなわち、相対的無輸血の治療方針を採用していながら、花子に対し、この治療方針の説明を怠ったものである。
(四) なお、被控訴人らは、同Aらが、花子の生命を守るためには、本件手術を実施せざるを得ないと考えていたところ、本件手術に関し輸血がどの程度必要であるのか輸血をしなければどうなるかについて説明すれば、花子が手術を拒否すると考えて、あえて説明をしなかったものであって、このような行為は正当であって許されると主張する。しかし、手術等に対する患者の同意は、各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイルないし何に生命より優越した価値を認めるか)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するものであるところ、右主張は、この自己決定権を否定し(前判示のとおり、その患者の自己決定が明らかに不合理な場合は、別論である。)、いかなる場合であっても医師が救命(本件ではむしろ延命)のため手術を必要と判断すれば患者が拒否しても手術してよいとすることに成り兼ねないものであり、これを是認することはできない。すなわち、現状においては、ガン告知等医師の裁量によって説明の要否及び内容を判断すべき場合があることは確かであるが、本件については、前判示の病名、患者の意思の強固さ等の諸事情からいってそのような裁量によって説明をしないことが許される場合でないことは明らかである(本来、ガン告知を含めて医師が患者に対してすべき説明の内容ないし程度については、診療機関が患者の受診当初において明示にすなわち書面で、患者の希望ないし意思を確かめる措置を執ることが適当である。)。
2 説明義務違反の結果
被控訴人Aら三名が、花子に対し、相対的無輸血の治療方針を採用していることを説明しなかったことにより、花子は、絶対的無輸血の意思を維持して医科研での診療を受けないこととするのか、あるいは絶対的無輸血の意思を放棄して医科研での診療を受けることとするかの選択の機会(自己決定権行使の機会)を奪われ、その権利を侵害された。
花子は、被控訴人Aら三名から右説明を受けていれば、医科研での診療を受けないこととする(本件手術についても同意しない)選択をしたものと認められる(花子本人尋問、甲第一五号証)。したがって、被控訴人Aら三名の説明義務違反の結果、花子は本件手術を受け、本件輸血を受けたこととなる。
三 争点三(本件輸血の違法性阻却事由ないし違法性)について
1 被控訴人らは、本件輸血は社会的に相当な行為又は緊急事務管理として違法性が阻却されると主張する。すなわち、被控訴人らは、花子が輸血以外に救命手段がない事態になっていたので、本件輸血は、人命尊重の観点から、また、医師にとっての職業倫理上の責任、刑事上の責任を回避するという観点からも、社会的に相当な行為又は緊急事務管理行為というべきである旨主張する。
確かに、後記認定のとおり、本件輸血が花子の救命のために必要であったことは、認められる。また、一般的には、医師が手術に際して患者の救命のために患者に輸血することは、輸血についての患者の事前の明示の同意がなくても、手術についての患者の同意が輸血についての同意を通常内包しているため、違法性がないものといえる。しかし、本件は、前判示のとおり救命ないし延命を至上命題とすべき事案ではなく、被控訴人Aら三名に関しては、前記説明を怠ったことの違法性が明らかであるところ(なお、本件手術についての花子の同意は、治療方針について充分な説明を受けずにされた瑕疵あるものではあるが、結果として手術が輸血なしでされた場合には、花子に損害が生ずることはないから、被控訴人らの責任も生じない。)、本件輸血は、同被控訴人らが前記説明を怠ったことによって発生したものであるから(すなわち、同被控訴人らが前記説明をしていれば、花子が本件手術を受けることも、ひいては本件輸血を受けることもなかったものであるから)、本件輸血が花子の救命のために必要であったことをもって同被控訴人らが前記説明を怠ったことの違法性が阻却されることはない。そして、この違法性が阻却されない以上、前記説明を怠ったことによって発生した本件輸血の違法性も阻却されることはない(仮に、本件輸血が花子の救命のために必要であったことをもって本件輸血の違法性が阻却されるものとすれば、同被控訴人らは、花子の意思にかかわらず、また、前記説明をするとしないとにかかわらず、およそ本件輸血は違法でないこととなるが、このような考え方は、前判示のとおり、救命のためという口実さえあれば医師の判断を優先することにより、患者の自己決定権をその限りで否定することとなるから、採用できない。)。
しかし、被控訴人B、同C及び同Fに関しては、同被控訴人らが前記説明義務を負っていなかったものであるから、本件輸血の違法性につき、さらに検討する必要がある。
2 被控訴人B、同C及び同F(以下「被控訴人Bら三名」という。)に関しては、本件輸血が違法であるか否かは、専ら本件輸血が花子の救命のために必要でなかったか否かによって、判断すべきものである。すなわち、前記認定のとおり、被控訴人Bら三名は、被控訴人Aら三名のように前記説明義務を負うものではなく、事前に花子がエホバの証人として輸血を拒む意思表示をしていたことを知っていたかどうかも明確でない。しかし、少なくとも本件手術において輸血の要否が問題となった時点では、被控訴人Aらからそのことを告げられたと認めるべきである。担当医師団としては、前記認定の手術に当たりできる限り輸血しないこととする合意の効果に拘束される(また、医師はその良心に反するものでない限り、患者の真しな自己決定に拘束されるとも解される。)。被控訴人Bら三名の行為に関しては、本件輸血が花子の救命のために必要でなければ違法であり、これが必要であれば違法でないとすべきである。そして、本件輸血の必要性については、次のとおり認められる(以下、これまでと同様に、既に認定した事実には証拠を示さず、それ以外の事実には括弧内に証拠を示す。)。
本件手術終了後の時点における花子の状況及び被控訴人医師らの判断は、次のとおりであった。出血量は、二二四五ミリリットル余りで、低血圧、頻脈、創浮腫が著明となっていた。この時点で、適切な対処をしなければ、花子が不可逆的なショック状態に陥り、生命の維持が困難となる状況であった(原審における被控訴人A本人尋問)。被控訴人Aは、この時点でも、できれば輸血しないようにしたい意向であった(同)。しかし、ショック状態の管理については一般に麻酔医の方が外科医より専門的な知見と経験を有するところ(弁論の全趣旨)、麻酔医である被控訴人C及び同Fが、どうしても輸血しないと生命の維持ができないという判断を示したことから、被控訴人医師らは、本件輸血をすることとした(原審における被控訴人A本人尋問)。この時点においては、輸血に代えて代用血漿剤を使用することは、同剤が酸素運搬機能に欠け、凝固因子を有しないため、救命手段として適切なものとはいえず、他の適切な救命手段はなかった(同、乙第一一号証の一)。
以上の事実によれば、本件輸血の必要性はこれを肯定することができる。したがって、被控訴人Bら三名に関しては、本件輸血が違法であるとはいえず、同被控訴人らに関しては、花子に対して不法行為責任を負う理由がない。
四 争点四(損害)について
原審における花子本人尋問の結果、甲第一五号証及び甲第九五号証によれば、花子が本件輸血によって医療における自己決定権及び信教上の良心を侵害され、これにより被った精神的苦痛は、大きいものがあったものと認められる。
しかし、①花子が侵害されたものは純粋に精神的なものであること(本件手術が積極的に花子の健康を害したとは認められず、むしろ後記のとおり延命の効果があったと認められること)、②被控訴人医師らは、長時間にわたる困難な手術を遂行し、腫瘍の完全な摘出はできなかったものの、その時点でなし得る最大限の治療をしたこと、③本件手術で腫瘍を摘出しなければ、花子の余命は約一年と見込まれたが(原審における被控訴人A本人尋問)、右摘出により、花子は本件手術後五年間の生存が可能となったものと認められること、④被控訴人Aら三名が花子の輸血拒否の具体的内容を確認するとともに、治療方針を説明する義務を怠ったとはいえ、花子が医科研に受診し入院して本件輸血を受けた平成四年七月ないし九月当時、エホバの証人患者の手術に際して絶対的無輸血の治療方針を採用するのが相当か、それとも相対的無輸血の治療方針を採用するのが相当かについて、確定的な見解があったものではないこと(ちなみに、前記一6認定のとおり、平成二年中に発表された日本医師会の生命倫理懇談会の見解は、絶対的無輸血の条件下での手術の実施を「やむを得ないことではあるが」肯定する趣旨のものであり、同二年から花子の右受診前までの間に絶対的無輸血の条件下での手術を是認する見解を発表した病院は、未だ多くはなかったものである。)、⑤わが国の医療現場における説明及び同意(インフォームド・コンセント)の観念及びこれに関するシステムは、なお流動的な形成途上にあり、被控訴人Aらの行為は医師の思い上がりと評すべき面もあるが、善意に基づくと認められること(なお、控訴人らは、手術後も被控訴人医師らが本件輸血をしたことを秘匿した点を非難するが、手術直後にこれを明らかにしてもすでにした輸血の事実を覆すことはできず、その告知が花子の予後に与える影響を考慮すると、やむを得ない面があり、この点を重視することはできない。)等の本件に顕れた全事情を勘案すると、花子の被った右精神的苦痛を慰謝するには五〇万円をもってするのが相当と認める。また、花子及びその相続人である控訴人らは、弁護士に本訴の追行を委任しているところ、本件の事案の内容、認容額などを考慮すると、本件と相当因果関係のある弁護士費用は、右損害認容額の一割の五万円が相当と認められる。
五 まとめ
以上によれば、花子の相続人である控訴人らはその相続分に応じ、被控訴人国並びに同A、同D及び同E(不真正連帯)に対し、民法七〇九条、七一〇条、七一五条に基づき、控訴人太郎において二七万五〇〇〇円、その余の控訴人らにおいてそれぞれ九万一六六六円(円未満切捨て)及びこれに対する不法行為の後の日である平成五年七月一六日(被控訴人Aについては同月一七日)から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。
第六 結論
以上の次第で、控訴人らの本件控訴は、被控訴人国、同A、同D及び同Eに対する請求につき主文第一項1の限度で理由があるから、これを認容することとして原判決をその旨変更し、控訴人らの被控訴人B、同C及び同Fに対する請求は理由がなく、原判決は相当であるから、控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条一項本文、同条二項、六一条、六四条本文を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官稲葉威雄 裁判官塩月秀平 裁判官橋本昇二)